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初桜と共に散る、君の知らない場所(完)(8/21ページ目)

投稿:2025-07-27 00:16:14

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本文(8/21ページ目)

その名前を見た途端、胸が跳ねて、指先が震えた。

恐る恐る通知の内容を見ようとした瞬間、ドアが開き、K男が戻ってきた。

私は慌てて画面を隠し、視線を逸らす。

K男は戻ってきてすぐに

「……大丈夫?」

私の顔を見て、さりげなく水のグラスを指先でトンと押し出す。

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「酔いって、急に来るからさ。今は大丈夫でも、気づいたときにはふわふわしてたりするんだよね」

穏やかな声色で、でもどこか探るような目で。

「……はい、ちょっと、そういう感じかも」

「なら、水多めにね」

少しだけ、沈黙が落ちる。

躊躇いながら、口を開く。

「……あの、さっきのことなんですけど」

「ん?」

「私、心配してたの、R子に対してで……K男さんがいなくなるのが寂しかったとか、そういうのじゃないです」

「……そうなんだ」

少し笑って、グラスの縁を指先でなぞる。

「でもさ、弁解するってことは……ちょっとくらい、そう思ってる自覚あったってこと?」

「え……違います、ちが……」

「冗談だよ。ただ、もしそうだったとしても、悪い気はしないけどね」

私は何と言えばいいかわからず、ただグラスの中をぼんやりと見つめていた。

沈黙を破るように、K男がふと呟く。

「最初に見たとき、すごく真面目そうだなって思った。でも、どこか抜けてるとこあるんだよね」

私は小さく首をかしげる。

「……どこがですか?」

K男は少し考えるような素振りをしてから、わざとらしく肩をすくめた。

「話してるとき、ときどきぼーっとしてる顔になるよね」

何気ない一言のようで反応に迷っていると、K男が少しだけ、声のトーンを落として続けた。

「……俺に見惚れてんのかな、って思うくらい」

その言い方があまりにも自然で、つい笑ってしまった。

「なんですか、それ」

思わず口元に手をやる。

恥ずかしいとか、照れとかじゃない。

笑ったあと、ふと気づく。

肩に入っていた力が、抜けていた。

するとK男が、テーブルのグラスに視線を落としながら、ゆっくり言った。

「……なんか、やっと、そういう表情してくれた気がする」

私は一瞬、何のことだろうと思ったけれど、すぐにさっきまでの自分の顔を思い出した。

たぶん、ずっと固かった。

表情も、気持ちも。

「緊張、してたので」

そう答えると、K男は軽くうなずいた。

「うん、わかる。肩とか、ずっと力入ってたよね。今は……ちょっと抜けた感じ」

「……そうかもしれません」

そんな言葉を交わして、少しの沈黙。

でも、それは気まずいというより、ただ静かなだけだった。

「……てか、E子ちゃんって猫っぽいよね」

「猫?」

「うん。話しかけすぎると逃げるのに、こっちが気を抜いたときにふっと隣にいそうな感じ」

「それ、褒めてます?」

「もちろん。猫、好きだし」

「ふふ……それ、なんか微妙な言い方ですね」

「え、じゃあハリネズミの方が良かった?」

「トゲありますよ、それ」

「……まぁ、初対面の時は、わりと刺さったけどね」

「えっ、私、何か言いました?」

「いや、別に言葉じゃなくて。目線とか?雰囲気?」

「……なんか、ごめんなさい」

「いやいや、それが逆に良かったんだけどね」

彼の言葉はからかい混じりで、だけどどこか優しかった。

ふとグラスを手に取ろうとして、底が空になっていることに気づく。

もう一口飲もうとしていた自分が、なんだか少し恥ずかしい。

それを見ていたのか、K男が軽く笑いながら言った。

「もう一杯は、やめときな?」

「ちょっとだけなら、大丈夫だと思います」

「お酒って、じわじわ効いてくるからさ。今いけそうでも、あとで一気にきちゃうよ?」

「そう……ですかね」

K男は少し笑って、「うん」とだけ答えた。

責めるでもなく、茶化すでもない。

その言い方が、不思議と素直に受け止められる。

「ほら、ちょっと顔、ぽわっとしてきた。分かりやすいタイプだと思うよ、E子ちゃん」

「え……そうですか?」

思わず頬を押さえると、K男は軽く肩をすくめた。

「うん。でも、まだ大丈夫そうかな。じゃあ、もう一杯だけ。あと、ちゃんとお水飲むこと」

冗談みたいな言い方だったけれど、目の奥はちゃんと真剣で、優しさのにじむ眼差しだった。

私はこくんと頷いた。

K男はまたメニューを手に取って、何かを探すように眺める。

そして、今度はすっと一つの名前を指さした。

「じゃあ、これ。前のより果汁感強め。甘いけど、ちゃんと休みながらね」

運ばれてきたカクテルは、ほのかにオレンジの香りがして、口に含むとやわらかくピーチの甘みが広がる。

思わず、口元が緩んだ。

「……美味しい」

思わずつぶやいたその言葉に、K男が静かに笑う。

けれど数口飲んだところで、手が自然と止まった。

美味しいとはいえ、初めてのお酒。

身体のどこかがゆるりと熱を帯びている気がして、グラスの中で揺れる液体をぼんやりと見つめる。

「飲みきれなさそう?」

K男の声がやわらかく響いた。

「……すみません。やっぱり、ちょっと」

「大丈夫」

K男はそう言って、さも当然のように私の前にあるグラスを取る。

「残すともったいないし、もらうよ」

彼の指先が、さっきまで自分の唇が触れていた縁に触れたと気づき、思わず視線を逸らしてしまった。

でも、K男は気づいていないふりをして、何もなかったかのようにゆっくりとカクテルを口に運んだ。

その時、R子が戻ってきた。

「ごめーん、お酒飲むペース速かったっぽいー」

と言いながら、三人でまた会話が始まる。

話題は軽く、自然に流れていくけれど、私の目は無意識にK男のグラスに向かった。

彼が飲んでいるのは、さっき私が飲んでいたカクテルと同じものだった。

それはまるで、2人だけの秘密みたいに感じられて。

一方でR子は、またお酒を手に取ろうとする。

その瞬間、K男がすっと手を伸ばし、やんわりと止めた。

「一杯でやめときなよ」

その言葉は友達同士の軽い注意に聞こえるのに、2人の間にはどこか特別な距離感が漂っている。

私はその距離感を、なんとなく感じてしまった。

「……ふーん」

思わず小さく漏らしたその言葉に、自分でも驚いた。

さっきまであんな風に近づいていたのに、今度はR子とK男の間にそんな空気ができている。

「ふーん」て、私、何?

自分でもわからない気持ちに戸惑いながら、私はその場の空気に、二人が纏う雰囲気だけに、少しだけ嫉妬しているのかもしれないと、ほんのちょっとだけ思った。

そんな私の様子に気づいたのか、K男がふいに視線を寄越す。

そして、R子がグラスに視線を落としたその隙を見計らうように

「……今度は、ちゃんと俺に?」

と、小さな声で言った。

さっき、私がR子のことを心配したのを、自分のことだと勘違いしていた。

それと同じ冗談めいた響き。

なのにその声が、どうしようもなく近くて、甘かった。

机の下の空間で、K男の右手の小指が、そっと、私の左手の小指に絡まる。

ごく限られた、小さな小さな、音も言葉もない静寂の中で。

その感触に、背筋がびくんとした。

これはただのじゃれ合いなんかじゃない。

あまりにも静かで、あまりにも密やかな、大人の「駆け引き」

体の芯がひやりとした。

指先が重なるだけで、まるで何か越えてしまったような感覚。

これは絶対、ダメなこと。

なのに、私の小指は……動かなかった

R子とK男が何気ない話題で盛り上がる中、私はうなずいたり、相づちを打ったりしながらも、正直、内容は、まったく頭に入ってこなかった。

だって、机の下ではK男の指先が、私の小指をそっと絡めているのだから。

力は入っていない。

ただ、触れているだけ。

けれど、その「触れ方」が、やけに優しくて。

わざとじゃないのに、わざとみたいな……そういう、体温の乗せ方だった。

机の上では、何でもない空気が流れている。

でも私は、呼吸を整えるふりで、お水をひと口。

心を落ち着けようとしていた。

すると、K男がふいに私の方を見て、少しだけ顔を寄せる。

「……大丈夫?E子も、少し風に当たろっか」

とっさに返事ができず戸惑っていると、R子が心配そうにこちらを見た。

「E子も体調、悪いの?」

K男はそれにゆるく笑ってみせる。

「ちょっと顔が赤いだけ。たぶん、お酒に慣れてないからだよ」

それを聞いてR子は「そっか、無理しないでね」と言ってくれる。

「すぐ戻るから」とK男はそう言って、私を立たせるようにそっと背中に手を添えた。

私たちは席を離れ、店の奥にあるカウンターへ向かう。

厨房の横に並んだ、二人用の小さなスペース。

運良く、端の席が空いていた。

「すみません、あの席、ちょっとだけいいですか?」

K男が店員に声をかけると「どうぞどうぞ」と明るく通される。

私たちは並んでカウンターの端に腰を下ろした。

彼の右手は、背中にそっと添えられている。

暖かくて、さりげない触れ方。

店員が運んできた冷たい水のグラスが、目の前に置かれた。

私はそのまま視線を落としたままだった。

「……大丈夫?」

K男の声は落ち着いていて、どこか優しかった。

答えられずにいる私を見て、少しだけ微笑む。

「酔った?それとも……」

そう言いながら、彼は背中に添えていた右手をゆっくり肩に回す。

そのまま腕をそっと回し、私を軽く引き寄せるようにして顔の横まで手を動かした。

「これのせい?」

目の前に差し出されたのは、小さく曲がった彼の小指だった。

驚きと共に息を飲む。

距離の近さに、胸の奥がざわついた。

水に伸ばしかけていた指は止まったまま。

言葉はまだ出てこない。

あの時、机の下で絡めた小指と、今の距離感。

すべてが無言のまま、静かに熱を帯びていった。

K男は腕を回したまま少しだけ体を寄せていたが、ふと力を抜くようにして、そっと手を離した。

まるで、熱くなりすぎる前に空気を冷ますかのように、優しいタイミングで。

「純粋だね……E子ちゃんって。彼氏とか、いないの?」

私は、息をひとつ飲み込んで。

そして、言いかけたその瞬間。

「……いや、やっぱりいいや」

その言葉が、冗談なのか、本気なのか。

分からないまま、私はうまく呼吸ができなくなっていた。

「いたら悲しくなるかもしれないから、聞かないでおく」

なんて、ずるい。

ちゃんと聞いてくれたら、「いる」って言えたのに。

……言えた、はずなのに。

さっきまで肩に回っていた彼の腕の感触が、背中のどこかにまだ残っていて。

それがいなくなった今、むしろその「無さ」の輪郭だけが、やけにくっきりと浮かび上がっていた。

私の中の「ダメなことをしてる感覚」と、「もう少しだけこの時間に浸っていたい」という気持ちが、せめぎ合って、どちらにも寄りかかれずにふらふらと揺れている。

胸の奥が、少し苦しい。

でも、それを表に出すのはもっと怖くて。

私は何事もなかったふうを装って、目の前の水を一口、口に含んだ。

K男はグラスを指先で回しながら、ふとつぶやくように言った。

「E子ちゃんって、きっと……ちゃんとしてる子なんだろうなって思う」

私は思わず顔を向けたが、K男はまだグラスを見ていた。

「周りのこと、ちゃんと見て、空気も読んで。自分の気持ちより、相手を立てる方を選べる、そんな感じ」

それは、誉め言葉なのか、指摘なのか。

けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。

むしろ、心のどこかが、静かに照れている。

「……でもね」

K男は、ようやくこちらに視線を戻した。

「全部俺のせいだから、遠慮しなくていいよ」

そう言いながら、手を差し出すその動きがどこか柔らかくて、私も気づけば小指を差し出していた。

まだ触れ合わない、でもこのほんの少しの距離が、今は心地よくて。

差し出した小指は、あとほんの数センチのところで止まっていた。

触れそうで、触れない。

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