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初桜と共に散る、君の知らない場所(完)(9/21ページ目)

投稿:2025-07-27 00:16:14

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本文(9/21ページ目)

けれどその距離は、ゆっくりと、確実に縮まっていった。

K男の指先がそっと動いて、私の小指に、優しく触れる。

それだけでもう、胸が少し苦しくなる。

私は……手を引かなかった。

引けなかった。

小指の先が絡んで、それから薬指、人差し指。

指先がじわじわと広がって、やがてK男の手が私の手の下へ、やわらかく滑り込んでくる。

覆いかぶさるのではなく、下から支えるように。

重ねられたその手に、少しだけ戸惑いを覚える。

長くて、節ばった指。

細いけれど、しっかりとした骨の形がはっきりと伝わってくる。

あ……なんか、違う。

そう思った瞬間、心の奥が小さく揺れた。

K男の指は、ごつごつとしていて、どこか無骨で、でもどこまでも丁寧だった。

指の一本一本が長くて、触れているだけで、その形がはっきりと伝わってくる。

こんな指で、手を繋がれたことなんて、なかった。

……私は「あの手」しか知らなかったんだ。

それが怖いくらい心地よくて、私は思わず息を止めていた。

「……手、つないだことは?」

ふとK男が囁く。

問いかけはやさしくて、息を飲むように静かだった。

私は、小さくうなずく。

「ハグは?」

うなずく。

今度は、ほんの少しだけ素早く。

K男は何も言わず、絡めた指をゆっくり動かす。

それが、鼓動の速さをさらに引き上げていく。

「……じゃあ、キスは?」

その声だけが、やけに近くて、甘かった。

答えようとした唇が、そっと震える。

だけど、言葉にならない。

私はただ、黙ったまま、目を伏せる。

うなずかない。

それだけで、十分だと思った。

彼の指が静かに折れ曲げられ、私の指を包み込むようにして、絡む。

今までの小指だけの距離が、音もなく、ゆっくりと埋められていく。

まるで、何も言えなかった私を、静かに肯定するように。

少しだけ間があって、K男がぽつりとつぶやいた。

「……そっか」

その一言には、なにも詰まっていなかった。

驚きも、詮索も。

ただ、受け止めるだけの、静かな響き。

私は、顔を上げられなかった。

K男の横顔を見るのが、なんだか怖くて。

この手を引いたら、すべてを壊してしまいそうで。

けれど、握られた手のぬくもりだけが、どこまでも優しく、私の中の迷いを、少しずつ溶かしていくようだった。

それでも、まだ顔を上げることはできなかった。

うつむいたまま、指先に集中するふりをして、心の動揺を誤魔化していた。

そんな私の様子を見ていたのか、また、K男がぽつりとつぶやく。

「……こわい?」

その声は低く、小さく、どこまでも静かだった。

でも、耳に届いた瞬間、心の奥を撫でられたみたいに、震えが走った。

何に対しての問いなのか、わからない。

たぶん、それはすべてに触れていた。

私は、答えられなかった。

ただ、指先にぎゅっと力を込めた。

ゆっくりと顔を上げると、K男の視線が、まっすぐこちらを見ていた。

その眼差しに、見透かされるような気がして、思わず息を詰める。

視線を外せなくなった、その一瞬、私はたしかに、見惚れていた。

息を飲みかけたその瞬間、ふと、「彼」の顔が浮かんだ。

あの、まっすぐで、不器用なくらい私を信じてくれている瞳。

あまり会えていない、触れてもいない、彼。

それでも、ちゃんと好きだって思ってる。

そう思ってるはずなのに。

「……戻りませんか?」

かすれるような声で言うと、K男は短くうなずいた。

「うん。じゃ、戻ろっか」

立ち上がったK男が、なにも言わずに手を差し出す。

触れるか触れないかの指先。

私は何も言わず、その手を取った。

大部屋の入口が見えてきたところで、K男はふっと手を放した。

なにも言わず、まるでさっきまで繋いでいたことすらなかったみたいに、自然に。

戻ったテーブルでは、R子がすぐに声をかけてくれた。

「大丈夫?外、寒くなかった?」

「……あ、うん、少し休んだら楽になった」

そう答えると、R子はほっとしたように笑い、K男に話題を向ける。

「K男さんって、大学どこでしたっけ?なんか雰囲気理系っぽいよね」

「文系なんだけどなあ。ていうか、それ初対面の人にもよく言われる」

「でしょでしょ。なんかわかる〜」

R子とK男が楽しげに笑い合うその声が、すこしだけ遠く聞こえた

べつに、嫉妬とかじゃない。

ただ……さっきまで自分とあんな風に話していた人が、あっけらかんと別の誰かと笑い合っているのを見ていると、どこかそわそわしてしまう。

まるで、急に置いていかれたみたいな気分だった。

「……なんなの、これ。なにムッとしてんの、私」

そんな自分に呆れながらグラスに口をつけたとき、R子がふいに立ち上がった。

「ちょっとお手洗い行ってくる〜」

その瞬間、K男がすっとこちらに身体を傾けた。

「……E子と話すのが、一番楽しいよ?」

低い声で囁くように言われて、思わず視線を上げる。

さっきまでの他愛ない笑顔とはまるで違う、落ち着いた目で、まっすぐ見られていた。

「楽しそうにしてて……もしかして、ちょっと嫉妬した?」

K男の手が、私の太ももにそっと置かれた。

スカート越し。

布一枚、ちゃんと隔たりはある。

だから、大丈夫。

決定的なことにはならない。

……そう、自分に言い聞かせる。

けれど、その手が少しだけ動いた。

撫でるように、親指がほんのわずかに、円を描く。

優しい。

それなのに、芯まで触れられてしまいそうで、足先がじんわり熱くなる。

……これくらい、大したことじゃないはずなのに。

彼氏にだって、こんなふうに太ももを触れられたことはある。

けれど、それとはまるで違っていた。

知っているはずの刺激なのに、こんなにも……甘い。

まるで、初めて触れられているみたいに、肌の奥まで、感覚が染みこんでいく。

心はざわついているのに、体の方が、先に受け入れてしまっていた。

スカート越しだから、何も起きていないはずなのに、感覚はひどく鮮明だった。

彼の指がそこにある。

ただそれだけのことが、息を詰まらせるほどに、意識を奪っていく。

そのとき。

K男が、少しだけ体を寄せた。

顔が近づく、息が触れる距離。

「……こんなに素直になってくれると思わなかった」

囁きは、耳のすぐそばで、空気ごと震える。

声のトーンは低くて、あたたかくて。

なのに、どうしようもなく甘かった。

一気に、何かがこみ上げてくる。

羞恥とも、安堵ともつかない、混ざり合った熱が胸の奥でじわりと膨らんでいく。

まるで、自分の体が、自分のものじゃないみたいだった。

やだ……なに、これ……

胸の奥を掴まれるような感覚に、私は息を飲んだ。

目を伏せることしかできなかった。

ゆるやかな撫で方なのに、太ももに力が入ってしまう。

知らないうちに、K男の手を足で挟んでしまっていた。

「……ご、ごめんなさい」

「ううん、悪くない」

K男は笑いながら、もう一度ささやいた。

「……そんな反応だと、ちょっと意地悪したくなる、ごめんな」

K男は、それ以上何も言わなかった。

ただ、指を動かした。

何も聞かず、何も許しを求めず、ただ反応だけを探るように。

私は、それに答えるように……いや、勝手に、身体が答えてしまっていた。

太ももの内側。

ほんのり熱を帯びたその場所を、

布越しに撫でる、ゆっくりとした動き。

……だめ、こんなの

心の奥で呟いたその言葉は、口に出ることもなく、喉の奥で霧のように消えていった。

膝の力が、抜けていく。

重ねられた手の体温が、どこまでも深く染み込んでくる。

息がうまくできない。

視界がぼやける。

まわりの会話も、笑い声も、グラスが触れ合う音も、もう耳に入ってこない。

K男の手の感触だけが、世界のすべてだった。

その動きの一つ一つに、心が溶かされていく。

気づけば、目を伏せたまま、私は息をひそめていた。

その動きが止まらないように、願うように。

だから私は、R子が席に戻ってきたことに、気づけなかった。

「E子、大丈夫?ちょっと顔赤いけど……」

R子の声が、まるで水の底から響いてくるみたいだった。

私は、少しだけ顔を上げる。

けれど目は合わせられない。

「……うん、大丈夫。ちょっとだけ、ね」

そう答える自分の声が、ひどく他人事に聞こえた。

机の下。

K男の指は、まだ、止まっていなかった。

スカートの上から。

太ももと、その付け根すれすれのあたり。

布の上から、ゆっくりと、確かに。

指先が、探るように、なぞるように。

それはまるで、私の限界を試すみたいだった。

私は、膝を閉じてしまわないようにと、必死で力を抜いていた。

拒まないこと。

それだけが、精一杯の、肯定。

「無理しないでね?」

R子の声が、優しい。

けれど私には、何も返せなかった。

言葉も、表情も。

どれだけ時間が経ったのか、もう分からない。

グラスの中の氷は消え、会話は遠くで続いている気がするのに、

私の中には、何一つ入ってこない。

ただ、K男の指の動きだけが、すべてだった。

気づいたときには、A子、S男、R子、そしてK男が立ち上がっていた。

皆それぞれ自然に笑っていて、次の店へ向かう空気が、もう出来上がっていた。

「……じゃあ、次、行こっか」

誰かの明るい声が耳に届く。

私は、その輪の中に自分がいないような感覚で、ぼんやりと視線を上げた。

……このまま、ここに残ることだって、できる。

体調が悪いと言えば、きっとR子も、K男も、優しく心配してくれるだろう。

一人で帰って、今日はもう終わりにする。

それは、たぶん「正しい」選択だった。

でも私は、その「正しさ」を、選ばなかった。

体が、勝手に動いたわけじゃない。

自分の中で、ちゃんと迷った。

けれど……

K男が、こちらを見ていた。

何も言わず、何も誘わず、それでも視線だけで、私を問うように。

立ち上がったのは、私の意志だ。

だけどその意志の輪郭は、曖昧なままで。

まるで、自分の背中を誰かにそっと押されたみたいだった。

座布団の縁がかすかにずれて、膝が畳から浮く。

その小さな動作のひとつひとつが、戻れなくなる合図のように思えて、私は、呼吸を忘れそうになっていた。

それでも私は、立ち上がった。

そして、何も言わずに、K男の後ろを、ついていった。

居酒屋を出た瞬間、夜風が頬をなぞった。

熱を帯びた身体に、その冷たさが妙に心地よくて、私はひとつ、浅い呼吸をこぼす。

「タクシー来たよ」

誰かの声がして、歩道に止まった一台の車に、皆が次々と乗り込んでいく。

私は少し遅れて、最後に後部座席のドアの前に立った。

そのとき、ドアが開く。

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